注意:このページにはTacticsのWin95用ゲーム「ONE 〜輝く季節へ〜」の独自解釈(9割)とネタばらし(1割)が含まれています。このページを読む前にまずゲーム本編をプレイすることをお勧めします。
まだ小さいころ、
とても悲しいことがあったんだ。
それが、永遠のある世界からぼくが滑り落ちた瞬間だった。
いつも笑いながら、小さな幸せのかけらをあつめながら、
ずっとずっと歩いていけると思っていたのに……
時は流れて、ぼくは大きくなって、泣いてばかりじゃなくなった。
でも、ある冬の日、時の扉は大きく開け放たれ、
12時を過ぎる時計の針のようにぼくを通過していったんだ。
それが最初だった。
ぼくがこの世界から剥離し始めた瞬間。
「えいえんはあるよ」
壊れたおもちゃのように泣いていたぼくに
その女の子は言ってくれた。
「ここにあるよ」
確かに言ったんだ。
忘れかけたあの世界がすぐそこでぼくを呼んでいる。
永遠の世界が、ぼくを呼んでいる。
漆黒。
原油にまみれた星の海。
微かに生き残る光は蜘蛛の糸。
でも、その蜘蛛の糸は掴もうとしても手をすり抜けてしまう。
遠い彼方から、か細い星の光が、早くつかまれとぼくを急かす。
ぼくはただ、戸惑いながら立ち尽くすだけだ。
(氷上とかいう会ったこともない奴に「君は僕と同じ目をしている」などと言われて殺人的に気味が悪かった)
際限なく広がる海。
その中でぷかぷか浮かぶぼく。
そこはどこまでも果てしなく海なので、
どこに流されても、流されたことにはならない。
どこまで泳いでも、どこにも移動したことにはならない。
すでに腕時計は水が染み込み、その鼓動を止めてしまった。
一秒がどれくらいの長さなのか、この前までは覚えていたはずなのに
今では砂の城が崩れるようによく分からなくなってしまった。
ぼくは貝のようにその外殻を閉ざし、やがて海の一部になる。
その日は朝から雨だった。
降っても降ってもあとから雨粒は落ちてくる。
今日だけで何兆の魂が天から突き落とされて来るのか、見当もつかない。
そういえば、ぼくはいつこの世界に突き落とされてきたんだろう。
もうすっかり忘れてしまったな。
世界がセピア色に見えるんだ。
他の人の目には、赤や青や緑、たくさんの色が見えるのに、
ぼくの目には白とセピアしか映らない。
通りすぎる人のくちびるの色もそうだ。
空の色も。道路の色も。
赤いといわれる血の色すらも。
ここにはたくさんの人がいて、
みんな総天然色の世界に住んでいるのに
ぼくだけが違うところにいるんだ。
みんなにはぼくのことがみえているんだろうか。
夕日に照らされた世界。
その中にセピア色の自分がいて、
赤い町や赤い人や赤い車を眺めているのだ。
まるで深い闇の河の向こうに浮かぶ世界を
ガラス窓の向こうから眺めるように。
どこまで歩いても、どこまで行っても、
セピア色のぼくが窓の外に出ることはできないのだ。
あそこに忘れてきたものがあるんだ。
遥か昔にそれを残してぼくは来たんだ。
何を残してきたのかは忘れてしまったけど。
そして、進んでいるようで進んでいない、
円環を巡る赤い世界。
いつまでも変わらないんだ。
いつまでも、柔らかく優しい夕焼けの中なんだ。
セピア色のぼくでももう少し身を置いていたくなる、
そんな赤い世界だった。
ぼくの体はぼくがリモコンで動かしているんだ。
生まれてまもない時は操縦を覚えるので大変だったけど、
今や自分の手足のように(いや手足なんだけど)動かすことができる。
ぼくが前に歩こうと思えばぼくの体は前に歩くし、
ぼくが七瀬をからかってやろうと思えば
ぼくはぼくの体を使って七瀬と話をするんだ。
だからぼくの体がおなかいっぱいになれば
「お、喜んでる喜んでる」
とぼくは感じるし、
ぼくの体が車に轢かれればぼくは
「あ、ぼくの体が車に轢かれて泣いているな」
と思うんだ。
もしくはこう考えてもいい。
ぼくの体はぼくに忠実な代理人が動かしてくれているんだ。
その代理人は時にぼく自身であり、ときにぼくの姿をしたぼく以外のものだ。
前に歩くのも七瀬をからかってやるのも、
ぼくが指令を出せばそいつが忠実にこなしてくれる。
そしてそのぼくの体を「うんうん」と頷きながら眺めているのがぼくなのだ。
(……オレはあの氷上に自分から会いに行ったのか……? まさか……)
セピア色の写真が並ぶアルバムをぼくが眺めている。
写っているのは、もちろんぼくだ。
1年前、2年前、3年前、そしてもっとずっと前の自分の写真。
その写真は止まった絵でありながら、
写真の中のぼくは走ったり笑ったりしている。
つまりそれは一つ一つの写真が時の流れを宿しているということなのだ。
ぼくは同じスピードで動く複数の時の流れを眺めて、
色とりどりの時計が並ぶ時計屋に入ったかのような不思議な圧力を感じる。
そして、それらを眺めている間、
アルバムを持つぼく自身の時の流れが止まっていることに気づいたとき、
ぼくは妙に納得してしまって、そして自分の未来を半ば確信したのだ。